尊属殺重罰規定判決の多数意見・反対意見

この記事を読んだあと皆さんは、田中二郎裁判官のことは好きになり、下田三郎裁判官のことは嫌いになるだろうと思います・・・・。

 

判決の全文(とても歴史的な判決であり、それぞれの裁判官の意見も力の入った入念なものなので、一度皆さん読んで自分の手でノートにまとめてみるのがおすすめです)

www.cc.kyoto-su.ac.jp 

本件は憲法判例百選(第七版)の§25 で取り上げられているので、是非読んでみてくださいね。

 

 

事件の概要

被告人(当時29歳女性)は14歳の頃から10年以上の間、意思に反して実父(本件被害者)から日常的に関係を強要され続け、5人の子までできるという悲惨な境遇にあった。

その折、他の男性との結婚の機会にめぐりあい、この状況から抜け出すきっかけを得たが、それを知った実父は激怒し、十日余り被告人を脅迫暴行を行った。その結果、煩悶懊悩の極にあったところに、実父のいわれのない暴言に触発され、実父を絞殺、その後すぐさま自首した。

 

以下にこの裁判で被告人女性の代理人を努めた大貫大八弁護士(現在もご存命)について書かれた記事を貼っておくので、ぜひ読んでみてください。

business.nikkei.com

 

この記事を読むと、女性の境遇にやるせない気持ちになると同時に、弁護士という仕事の素晴らしさと人の善意の暖かさに胸が打たれますね

法的な状況

当時の刑法には刑法200条尊属殺人の規定があった。(以下、明治40年刑法)

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刑法200条

自己又ハ配偶者ノ直径尊属ヲ殺シタル者ハ、死刑又ハ無期懲役ニ処ス

直系尊属とは

直系とは、自分の父母、祖父母、曾祖父母、子供、孫のことである。(叔父叔母、兄弟は傍系という)

尊属とは、自分より親以上の世代のことを指す。卑属とは自分以下の世代(自分、子供、孫世代)のことを指す。

直系尊属とはつまり、父母、曽祖父母のことである。

しかしながら、当時であっても、親殺しの殺人事件に対して、刑法200条を適用し死刑または無期懲役に処すのは重すぎる場合が多かった。逆に傾向としては、親殺しの殺人事件のほうが最も軽い量刑が選択される率が高かった。(親子間であるがゆえの深い事情をもった殺人が多かったようである)*1

 

このため、この事件以前でも刑法200条の適用はほとんどなく、なんとか適用を避けるために、下級審でも憲法14条の法の下の平等から200条を違憲無効として200条の適用をどうにか避けるということが行われたりしていました。

 

一方、最高裁では1950(昭和25)年に200条の合憲判決を下しています。以降、下級審含めて、毎年平均して34件の合憲判決が積み上がっていたようです。この最高裁の合憲判決を覆すのが大貫弁護士の目標だったんですね。

 

日本国憲法 14条〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

本件の下級審における経過は、

一審では、200条の違憲無効、過剰防衛・心神耗弱により刑を免除

二審では、一審を破棄して、200条は合憲として過剰防衛も認めず、心神耗弱により法律上最低限の懲役3年6ヶ月の実刑*2

つまり、本判決の焦点は200条は違憲無効かどうか、二審判決が覆るかどうかす。*3

そして最高裁の判決が以下です。

主文

原判決を破棄する。
 被告人を懲役2年6月に処する。
 この裁判確定の日から3年間右刑の執行を猶予する。

(執行猶予3年、懲役2年6ヶ月ということ)

多数意見

刑法200条は憲法14条に違反して無効である 。

多数意見はまず、憲法14条1項について、(後段列挙に対して「例示説」をとりつつ)合理的な根拠に基づかない差別を禁止する規定であると解釈します。

  • 憲法14条1項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべき。

 そして、尊属(=親世代)に対する尊重は基本的道義なので、刑法上の保護に値するとし、尊属に対して特別な刑法規定を設けること自体は合憲だと判示します。これは、「立法目的の合憲性」を検討しています。

  • 尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値する

  • しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値する
  • このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。

 しかし、尊属に対する尊重が刑法上の保護に値するとしても、その保護を達成するために、無期懲役・死刑しかないのは余りにも重すぎるため、違憲無効となると多数意見は述べています。これは、「立法目的達成の手段の合理性」を検討していますね。

  • さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならない。
  • 尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。
  • 以上のしだいで、刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法199条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する。

 ということで、判例を変更。

まとめ

まず、14条1項後段は「例示説」

そして、法の下の平等違憲審査は

  1. 立法目的の合理性
  2. 立法目的達成の手段の合理性

二段構えで行われた。

本件は、立法目的の合理性の審査はパスしたが、立法目的達成の手段の合理性の審査はパスしなかったため、200条は違憲無効となった。

多数意見の問題

以上で、一件落着といきたいのですが、この判例には本当に問題はないのでしょうか?

多数意見に対する自然な疑問として、以下が挙げられると思います。

  1. 尊属殺はNGだとわかったが、刑法の他の部分にも尊属規定はある*4これは違憲ではないということだろうか?
  2. 尊属規定を置くことは必ずしも違憲ではないが、尊属規定の重すぎるので違憲だと判決したが、ならなぜ、殺人罪の法定刑の最下限を言い渡したのか?尊属規定の存在が違憲でないなら、少なくとも、普通の殺人 + 尊属殺分になって、普通の殺人よりも刑が重くないとおかしいのではないではないか?

以下の、田中二郎裁判官の反対意見でもこの疑問について述べられています

田中二郎裁判官の反対意見(学説)

(2人同調、他3人同趣旨の反対意見)

まず、例示説を取りつつ、(少なくとも語感としては)多数意見よりも少し踏み込んだ、法の下の平等についての判断基準を示しています。

これらの列記は、単にその主要なものの例示的列記にすぎず、したがつて、これらの列記事項に直接該当するか否かにかかわらず、個人の尊厳と人格価値の平等の尊重・保障という民主主義の根本理念に照らして不合理とみられる差別的取扱いは、すべて右条項の趣旨に違反するものとして、その効力を否定すべきものと考えるのである。

 これは決してすべての差別が行けないと言っているわけではなく、日本国憲法の精神に抵触しない合理的な差別なら許容されると述べます。

私も、一切の差別的取扱いが絶対に許されないなどと考えているわけではない。差別的取扱いが合理的な理由に基づくものとして許容されることがあることは、すでに幾多の最高裁判所の判決の承認するところである。問題は、何がそこでいう合理的な差別的取扱いであるのか、その「合理的な差別」と「合理的でない差別」とを区別すべき基準をどこに求めるべきかの点にある。そして、この点について、私は、さきに述べたように、憲法の基調をなす民主主義の根本理念に鑑み、個人の尊厳と人格価値の平等を尊重すべきものとする憲法の根本精神に照らし、これと矛盾牴触しない限度での差別的取扱いのみが許容されるものと考えるのである。

そして、合憲性の検討に移ります。

まず、立法目的の合憲性の審査を行います。つまり、「刑法に”尊属であるかどうか”に基づいて差別的な取り扱いをする規定が存在してよいか」、「尊属に対する尊重恩報の保護が合理的な目的か」を審査します。

そこで、田中次郎裁判官は以下のように述べます。

(戦前の家族制度と深い関連を持つこの規定は、家族制度を廃止してきたこの日本国憲法の趣旨にもとづけば)尊属がただ尊属なるがゆえに特別の保護を受けるべきであるとか、本人のほか配偶者を含めて卑属の尊属殺人はその背徳性が著しく、特に強い道義的非難に値いするとかの理由によつて、尊属殺人に関する特別の規定を設けることは、一種の身分制道徳の見地に立つものというべきであり、前叙の旧家族制度的倫理観に立脚するものであつて、個人の尊厳と人格価値の平等を基本的な立脚点とする民主主義の理念と牴触するものとの疑いが極めて濃厚であるといわなければならない。

私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によつて結ばれ、子が親を尊敬し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定するものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたものではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するものであるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべきものではない。尊属殺人の規定が存するがゆえに「孝」の徳行が守られ、この規定が存しないがゆえに「孝」の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納得することができない。尊属殺人に関する規定は、上述の見地からいつて、単に立法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触し、直接には憲法14条1項に違反するものといわなければならないのである。

 

子供が親を殺すことは、親が子供を殺すより罪が重いというのは、明らかに親(=尊属)と子供(=卑属)という身分に基づいた、身分制道徳であって人格価値の平等を旨とする民主主義の理念(=憲法)と抵触する。と田中次郎裁判官は述べています。

引用二段目の太字部分はこういう時代に生きている我々にとっても重く突き刺さる言葉だと思います。

そしてまた、2つ目の審査、立法目的達成の手段の合理性の審査を行います。多数意見の矛盾点について述べています。

(多数意見のいうように)もし、尊属殺害が通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしてこれを処罰に反映させても不合理ではないという観点に立つとすれば、尊属殺害について通常の殺人に比して厳しい法定刑を定めるのは当然の帰結であつて、処断刑3年半にまで減軽することができる現行の法定刑が厳しきに失し、その点においてただちに違憲であるというのでは、論理の一貫性を欠くのみならず、それは、法定刑の均衡という立法政策の当否の問題であつて、刑法200条の定める法定刑が苛酷にすぎるかどうかは、憲法14条1項の定める法の下の平等の見地からではなく、むしろ憲法36条の定める残虐刑に該当するかどうかの観点から、合憲か違憲かの判断が加えられて然るべき問題であると考えるのである。

 繰り返しになりますが、田中裁判官は、尊属規定の存在が違憲でないなら、少なくとも、普通の殺人 + 尊属殺分になって、普通の殺人よりも刑が重くないとおかしいのではないではないか?という疑問を述べています。そして、もし刑が重いとしてもその点については、憲法36条の定める残虐刑によって違憲性の判断をすべきだと述べています。

[憲法第36条]
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

まとめ

尊属に対する尊重を刑法規定するのは、目的の審査の時点で違憲

その点が合憲だったとしたら、刑が重いかどうかは憲法36条によって判断すべき

 

立派ですね。特に1つ目の審査に関しては多数意見よりも筋が通っていると思います。

少し気になるのは、法定刑が過酷かどうかは、別に14条一項法の下の平等と36条残虐刑のどちらで判断しても良いかなと僕は思います。というか、残虐刑であるかを判断するときに、法定刑の均衡という観点から評価をすることになり、そうすると法のもとの平等から考えているのと殆ど変わらないような気がします。

下田三郎裁判官の反対意見

百選でも殆ど無視され、他の裁判官からもディスられまくっている意見です。

趣旨は、立法機関の立法を尊重するべきで、軽々に違憲判決を出すべきではない。というものです。

まず、14条一項の規定は、尊属規定とは関係ないと述べます。

わたくしは、憲法14条1項の規定する法の下における平等の原則を生んだ歴史的背景にかんがみ、そもそも尊属・卑属のごとき親族的の身分関係は、同条にいう社会的身分には該当しないものであり、したがつて、これに基づいて刑法上の差別を設けることの当否は、もともと同条項の関知するところではないと考える

 これ驚くべきことにその理由は書いてないです!!!(田中裁判官が戦前の家族制度との関連性から尊属規定の身分道徳性を立証しようとしたのと対照的)

理由と解釈しうる部分が以下でしょうか。

そもそも親子の関係は、人智を超えた至高精妙な大自然の恵みにより発生し、人類の存続と文明伝承の基盤をなすものであり、最も尊ぶべき人間関係のひとつであつて、その間における自然の情愛とたくまざる秩序とは、人類の歴史とともに古く、古今東西の別の存しないところのものである(そして、そのことは、擬制的な親子関係たる養親子関係、ひいては配偶者の尊属との関係についても、程度の差こそあれ、本質的には同様である。)。かかる自然発生的な、情愛にみち秩序のある人間関係が尊属・卑属の関係であり、これを、往昔の奴隷制や貴族・平民の別、あるいは士農工商四民の制度のごとき、憲法14条1項の規定とは明らかに両立しえない、不合理な人為的社会的身分の差別と同一に論ずることは、とうていできないといわなければならない。

 自然の情愛とたくまざる秩序に古今東西の別があったからこういう事件が起こっているのではないでしょうか?と僕は思ってしまいます。

 

ここから、多数意見に対する反論が始まりますが、言いたいことの骨子は以下です。

しかしながら、そもそも法定刑をいかに定めるかは、本来、立法府の裁量に属する事項であつて、かりにある規定と他の規定との間に法定刑の不均衡が存するごとく見えることがあつたとしても、それは原則として立法政策当否の問題たるにとどまり、ただちに憲法上の問題を生ずるものではない

他には 多数意見が、「刑が重すぎる」といったのに対して、「いまの刑法ができたときにはもっと厳しくてもよいと言う意見も多かったので」重すぎるというのは間違っていると主張したり。以下のように述べたりします。意味がわからないので要約不能です

そして、このような尊属に対する敬愛・尊重が、人類の歴史とともに始まつた自然発生的なものであり、かつ合理的で普遍性を有するものである以上、刑法200条の規定をもつて、歴史上の一時期における存在に過ぎない封建道徳をいまさら鼓吹助長するための手段であるかのごとく論難するのあたらないことは多言を要せず、また右規定は、もとより親不孝なる刑事法上の特別の行為類型を設けて、その違反を処罰しようとするものではないから、「孝道」を法的に強制するものとして非難するのあたらないことも言をまたない。なお、刑法200条の立法にあたつて、当初、旧家族制度との関連が考慮されていたことは歴史的の事実と見られるところ、同条が家族制度と一体不離の関係をなすものでないことはもちろんであり、とくにかかる制度の廃止された新憲法下の今日において、同制度との関連より生ずべき弊害なるものを、強いて憂える必要もありえないところである。さらにまた、親族関係のうち卑属の尊属に対する関係のみを取り出して特別規定の設けられていることを問題とする見解もあるが、同じく近親であつても、夫婦相互間、兄弟姉妹間等における親愛、緊密の情は、卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念とは性質を異にするものであつて、たやすくこれを同一視して論ずることができないものであることはいうまでもなく、また本件で争われているのは、尊属殺を定めた刑法200条の合憲性であるから、これが合理的な差別といいうるか否かの点を問えば足りるのであつて、他に尊属殺と同様に強く非難さるべき行為類型が存するか否かは、本件の論点とは直接の関係がないものといわなければならない。

ひどい

なぜ子供が親を殺すことに重罰規定がないのに、子供が親を殺すことに重罰規定があるのかについて検討されていない。下田裁判官にとっては、親が子供に持つ 「敬愛・尊重が、人類の歴史とともに始まつた自然発生的なものであり、かつ合理的で普遍性を有するもの」ではないのでしょうか?

また、「係る制度の廃止された新憲法下」にこういうような規定が残っていて、今ここでこういう事件が起こって「弊害」が生まれているのではないでしょうか?

また、同じく近親であっても「卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念とは性質を異にする」と言っていますが、これはつまり特別に尊属卑属の関係だけに規定を置けるほど「卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念は特別だ」といってるに等しいわけです。しかし、なぜ特別なのか合理的なのかは一切書いてはいない。当たり前ですが、その関係は他とは違うからそのことを特別に扱った規定は合憲という主張は間違いです。*5

 

最後に、現行法で量刑が重すぎになってしまう場合についての下田裁判官の意見がこちら

多数意見は、刑法200条のもとにおける科刑上の困難を強調するのである。

(中略)

被告人のおかれた悲惨な境遇を深く憐れむ点において、わたくしもまた決して人後に落ちるものではない。しかしながら、情状の酌量は法律の許容する範囲内で行なうことが裁判官の職責であり、その範囲内でいかに工夫をこらしてもなお妥当な結果に導きえない場合が生じたとすれば、これに対しては、現行法制のもとにおいては、恩赦、仮釈放等、行政当局の適切な措置にまつほかはないのであつて、多数意見のごとく、憐憫に値する被告人の所為であり、かつ、科刑上も難点の存するがゆえに、ただちにさかのぼつてその処罰規定自体を違憲、無効と断ずることによりこれに対処せんとするがごときは、事理において本末転倒の嫌いがあるものといわざるをえないのである。

 処罰規定を違憲、無効としないで、現行法の規定する不当に重い判決を被告人に下すことこそ本末転倒ではないのか……

 

まとめ

多数意見の違憲判決を「恣意を排除した客観性のある結論とはいいがたい」と非難するが、その根拠は実質的には立法府が定めたものだから」というものしかないようである。制定の時点であれこれあったり、いま立法府であれこれやっているということは、その成文法が違憲であるかどうかの判断にどうして影響するのか僕にはわからなかったです。やっぱ外務省出身の法律知らない裁判官は怪しい。

 

最後のまとめ

列挙は例示説

法の下の平等違憲審査は

  1. 立法目的の合理性
  2. 立法目的達成の手段の合理性

の二段構えで行われた。

判決は、200条の違憲無効。

多数意見では、立法目的の合理性の審査はパスしたが、立法目的達成の手段の合理性の審査はパスしなかったため、200条は違憲無効となった。

しかし、田中二郎裁判官の反対意見において、立法目的の合理性の審査の時点で違憲だと主張された。これが学説である。

下田裁判官はチョットナニイッテルカワカンナイ

 

*1:田中二郎裁判官の意見にも述べられているように

*2:実刑とは、執行猶予がつかないことです。執行猶予判決では執行猶予中に罪を侵さなければ刑が免除されるので、実刑と執行猶予は大違いですね

*3:厳密には記事冒頭の判例リンクから大貫弁護士の上告趣意書を読んでください

*4:尊属傷害致死に関する刑法205条2項、尊属遺棄に関する刑法218条2項および尊属の逮捕監禁に関する刑法220条2項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたもの。

*5:例えば男性が女性の配偶者に対して持つ念と女性が男性の配偶者に対して持つ念は性質を異にするでしょう(少なくとも極限まで細かく見れば異にするでしょう、別の人間の持つ感情なんだから)。だから、家庭内で男性が女性に優越するような民法規定があってもそれは合憲だ、という理屈は許されますか?